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![]() 昨日は Auckland University of Technology (通称AUT)の冬期卒業式だった。 同居人は半年ほど前に既に全課程を修了し、すぐに卒業証書だけを受け取ることはできたのだが、せっかくだから卒業証書授与式に出て受け取ろうではないかと、長いことこの日を待っていた。 冬期のセレモニーはノースショアのタカプナという地域にある BRUCE MASON CENTRE で行われるのだが、セレモニーの前にその周辺をパレードするのが恒例となっている。 パトカーの先導に続いてバグパイプの音楽隊、そして卒業生が続く。 ![]() 卒業生はマントの上に色分けされたフードを掛けるのだが、その色に寄ってどの学部を出たかがわかるようになっている。 同居人の色は金色(communication studies: 日本で言う報道関係学部かな)だった。 ただでさえ高い英語の壁は、この学部では更に高く、書いても書いても「君の英語はまだ充分ではない」という評価に、同居人は何度も挫折しかけたが、彼は誰にも助けを求めず、全ての assignment(課題/宿題)を一人でやり遂げ、全力で試験にも臨んだ。 同居人は実力でやり遂げたという誇りを胸に壇上に上がった。 苦しみながらも卒業まで頑張り続けたんだという達成感と自信が、彼の毅然とした姿に溢れていた。 ![]() 彼は、この大学に入学する前に通った語学学校の卒業式で、校長から Best Student として名前を呼ばれ、「君は本当によく頑張った。大学でもきっと素晴らしい成果を上げてくれると私は確信しているよ」と力強い励ましの言葉をかけてもらっていた。 彼の英語のレベルは、語学学校に入学した当初は初歩の初歩だったのだが、そこを卒業する頃にはかつてその学校から2名しか入学を許可されなかった難関の学部への入学が決まり、講師陣は一日も休まず真面目に学校に通い、努力し続けた彼を「我が校の誇りだ」と褒め讃えてくれたのである。 努力を認められ、賞賛されるということがどれだけ人を大きくするかを、その学校の先生達はよく知っていたのだろうと思う。 「君ならやれる。頑張れ!」 異国の地で言葉もほとんどわからず、何をするのにも戸惑い、ようやく入学した学部には留学生はほとんど居らず、語学学校を卒業した程度のレベルでは、正直なところついて行くのに無理があったのは確かだったが、それでも『やればできる』という信念でこれまで頑張って来れたのは、それが素直に認められる社会であるからに他ならないのだと私は思った。 さて、お祝いに駆けつけてくれた同居人の友達兼仕事仲間のいつものメンバーと、唯一の日本人の友達1人、そして同居人Hと私は、それぞれがデジタル一眼レフやらビデオカメラを持って、彼を追いかけ回し、さながら彼は有名人のようであった(笑) 私は式の前日、予想外の腹痛(激痛)に転げ回り、痛み止めの薬を飲むとすぐに吐いてしまい、一日中何も食べず、ただ水を飲んでは吐くという動作を繰り返していたが、式当日の朝には痛みも吐き気も治まり、無事に貴重な瞬間を目に焼き付けることができたのは何よりであった。 ただ、家に戻って写真を見ると顔も身体もひどくむくんでいて、あぁ、何故こんな時に・・・と悲しくなった。 病み上がりのパパラッチ(私)は、自分の小さなデジカメで撮影していたのだが、同居人Hに指摘されるまで、ずっと接写モードで風景を撮っていた事に気付かなかった。 やはりボケ〜っとしていたんだなと思った。まぁ、他に沢山のパパラッチが居たので笑って済ませられたが・・・ むくみは今日の午後になってようやく引いて来た。 そうそう、言わなかったけれど、もちろん、あなたのお父さんも連れて行ったよ。 私のポケットの中にね。 ![]() I am so proud of you, my son! ▲
by kiwidinok
| 2010-07-31 14:18
| 海外生活
![]() 先週、先々週とインターネット・オークションで落札するものが多かった。ほとんどは書籍だったのだが、その他にカリグラフィー用のペンセットと、この Traveller's Writing Chest もあった。 旅行に持って行くにしては、サイズが 29cm x 7.5cm 深さ 8.5cmというのはけっこうかさばるのではないかと思うのだが(しかも重たいし)、昔はこんなふうに筆記具セットを持ち歩いて旅行をしたのだろうか? ![]() 中にはガラスペン、木製軸のペン、ペン先数個、封印用のロウ、インク、一筆箋のような便箋、それに芯のみの鉛筆のようなものが入っていた。 同居人は箱に貼付けてある紙が古い感じがしないと、「アンティーク?」と首を傾げていたが、私はそんなことはどうでもよく、ただカリグラフィー用のペンやら何やらを収納して机の上に置いておきたかっただけなので、これで充分なのである。 そして、今日、今回の一連の買い物で最も欲しかったものが届いた。 ずっと読みたいと思っていた詩集である。 歯の浮くような甘い言葉で上辺だけ取り繕ったような類いの詩集ではない。 これは作者の苦悩と葛藤から生まれた本音である。 ![]() 彼は今、この国に来て幸せだと思っているだろうか? 身の安全は確保されているのだろうか? 静かに、平穏に、そして笑顔で暮らせているのだろうか? 会って話をしてみたい。 ▲
by kiwidinok
| 2010-07-27 14:24
| 海外生活
In November 2003, I was there and been reading an old mass-market paperback of Camus that had sent from Japan with other goods to be moved.
![]() That was an early morning and my children were falling asleep then. I suddenly made up my mind to capture the scene no one knows except God (if God exists) and myself. ![]() That's a novel Camus wrote --- Le Mythe de Sisyphe / The Myth of Sisyphus --- I had been keeping that small book since I was in a high school but I've lost that in 2007, maybe. Have you read that? 'There is no hope to live in this world but I have to live as long as I live because I was blessed with children' --- I thought when I took these photos at the time. A week before last, I've found a book of Camus on Internet auction while searching something related to my new artwork. ![]() The Outsider --- it must be very old I thought --- I really wanted to get it and read it in English because most of foreign books translated into Japanese particularly has philosophical side in it were often became an esoteric style and it would get on my nerves. So I bid this off at $10.00 (it's not very cheap) and took the photo as same as I did in 2003. Albert Camus was born in Algeria in 1913 of Breton and Spanish parentage so he was not Arab. I knew a bit of his history but I haven't think about the real sights of this story until now. It is no doubt the area of Maghreb/Maghrib is one of the most beautiful places in the world. Maghreb/Maghrib is an Arabic word, literally meaning "place of sunset" or "the west". On the other side of this area especially refer to Algeria; the majority of people have some serious problems for living peacefully. Somehow my thought has been in the "amber coloured country" for long time. It's not mentioned just about actual colour of course but I don't know how to express my feeling --- It's beyond words. Algeria has something about it. I felt, finally I found a place that I desired to live. ![]() But how can I get a right to live...? ▲
by kiwidinok
| 2010-07-25 12:32
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by kiwidinok
| 2010-07-19 17:42
| 友人
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by kiwidinok
| 2010-07-17 11:26
| Music
前回投稿した難民問題を他人事だと片付ける人々、自分の事のように心を痛める人々、この世界にはそのどちらも存在する。
感性の問題なんだろうね。 私はとある小さな村で生まれた。しかし家のあった場所は隣接する区域とのボーダーにあった為、小学校に上がる前はその村のほとんどの子供達が通うたった一つの保育園には行かず、少し開けた"町"にある幼稚園に通うようにと両親は決めたらしい。 幼稚園は寺の持ち物だったが、宗派など幼なかった私は知る由もない。(が、多分どんな宗派だって大差なかろう) 正直、幼稚園の記憶で鮮明に覚えているのはたった一つだけ・・・砂場で(多分一人で)遊んでいたのかどうかも定かでないが(行く所が無くてただそこに居ただけかも知れない)、近くに居た男児が、砂場に落ちていた動物の糞をつかんで私に向かって投げつけて来た。その子が同じクラスだったのかどうかも覚えていないし、その後どういう状況になったのかも全く覚えていないが、私の中には「もうこんな所ウンザリだ」という思いが植え付けられた。そして、その後すぐにかどうかはわからないが、登園拒否が始まった。 「幼稚園になんて行きたくない!」と、朝押入れに隠れるなどして逃げていたのをはっきりと覚えている。その時の不安定な精神状態までもしっかりと覚えている。 記憶する限り、私の『抵抗』の人生はそこから始まった。 私の祖父も父もとても手先が器用な人で、本職ではなかったが家で常に何かを作っていた。 私はその内に幼稚園に行かない事を認められるようになったのか、毎日祖父が木材を鉋で削ったり、墨を入れたりする傍で、作業を眺めたり愛犬(ビーグル犬で、名前はエス・・・どんな意味があったのだろう?(笑))と遊んで、平穏に暮らしていた。時には作業をしていたのが父だったりもしたが、やはりその傍で作業を見入って、「すごいなぁ〜 何でもできるんだ〜」と、いつも興味津々で見ていた。 祖父や父が鉋をかけた後の木はとても美しく、また薄く削られた鰹節のような削りくずも、私の目にはとても美しいものに見えた。木の香りももちろん大好きであった。 そんな、私にとってこの上なく平和な暮らしは、小学校に入った途端打ち壊された。 「同じ保育園出身ではない」ということから端を発し、いじめの標的になるというおぞましい現実が私に襲いかかって来たのだ。しかも、当時各学年1クラスしかなかった小さな村の学校での出来事である。 私の居た学年を取り仕切っていたのは女ボスで、多分保育園時代からのボスだったのだろう、小学校に上がっても誰も逆らう事無く(他の地域からのメンバーはほぼゼロなので、当然の成り行き)、金魚の糞のように後ろにくっついて、日本人ならわかるだろうが、誰も自分の意見を言わず、自分が標的にならない為にボスの言いなりになるばかり。 それでも、陰に隠れてだったらボスの悪口は言えた。だが、それをボスに知られそうになると、当然自分の発言に責任など持たず、誰か他の人に責任転嫁して「あの子がそう言った」ということになる。 そして、最もターゲットにし易い私(よそ者)がそのとばっちりを受ける・・・ 『全く汚い社会である』と、小学生の私は思った。 教師というのも使い物にならない。 生徒間のもめ事が教師の目に入らないなどということがあり得ようか? ほんの少しの観察眼があれば、毎日朝から夕方まで関わっている子供達の状況を正確に把握できるだろうに・・・ ましてや、私の場合など、早期にとんでもない事実を実際目撃していた教師が居ながらも、いじめを根絶するどころか、6年間も放置していたのだ。 『教師は聖職』とか言われていた時代であるが、「聖職が聞いて呆れるよ」と私は思っていた。 今でも学校でのいじめの問題が大きく取りざたされると、学校側は決まって「そのような事実は確認(把握)しておりませんでした」と自分サイドをプロテクトすることだけに躍起になるが、嘘つきにも程がある。 もし本当に気がつかないような教師だったら、生徒に何も教えてくれるなと強くお願いしたい。特に、そんな教師面した人間の"道徳"の授業など何の役に立とうか。 私がいじめられ続けたのは、多分私が彼女らにひれ伏さなかったからであろうし、その『日本人らしくない』態度が彼女らに取って受け入れ難いものだったからなのであろうが、いじめは年を追う毎にエスカレートし、物を取ったり、当時は汲取式だったトイレにそれを捨てたりということでは飽き足りなくなったボスは、子分を引き連れ(一人じゃできないので)、終いには私は下校時に数名に河原に連れて行かれ、鞄で顔を殴られて歯を折るということまで経験することとなった。 「死にたい」と当然思った。 (40年以上経った今でもいじめを苦にして自殺をした子供達のニュースを読むと、「そうだよな、死んだら楽になれると考えるよな」と頷いてしまうし、同時に周りの全てのものに対しての怒りが込み上げて来る) そんな歴然とした事実があっても、親も教師も何の解決策も打ち出せず、「どんなに自分が正しい事を思っていて、周りが間違っているとしても、周りに合わせなければこの世では生きて行けないんだよ」と、たかが10年しか生きていないような子供に教える社会が日本なのだ。 腐っている。腐り切っている。 何が正しいか、何が間違っているかを考えるのではなく、ただ周囲に合わせて生きることが要求される社会・・・日本。 人前で自分の意見を言わない事が自分を守る手段・・・人前で正々堂々と自分の意見を言うと「自分勝手」だとか、「何様のつもりでいるんだ」とか、「あの人は変わっているから」と陰口(あくまで"陰口"でしかない。だって、自分が公に発言すればそれに対して同じ事が陰で囁かれるのを皆知っているから(笑))を叩かれ、問題について真剣に、腹を割って話し合う事などほぼ無い。 自分が標的にならないように、思っている事も表立って言わず、不本意ながら自分よりも強いものに従わざるを得ないと思っているので、ストレスはたまる一方で、ストレスが自分の許容量を超えると自制がきかなくなり、犯罪に走ったり、自殺をしたりということになるケースも相当数あるだろう。 (そんな人も、強いものに従って誰かをいじめる仲間に加わっていたかも知れないということを考えてみるべきであると、私なんかは思ってしまうが) 個人々が自分の考えを自由に言えない社会。人間、一人々皆違っていて当たり前だという観念を否定している社会では、何百年経とうが何千年経とうが、いじめはなくならないし、それに関連した殺人も自殺も無くならないよと、私は子供達にだけは教えて来た。そして、そんな日本には私の生きる場所は無いと日本を出てきた。 この国(New Zealand)は『正論』が通る国である。 私はあの時、10歳の若さで死を選ばなくてよかったと、ここに来てからしみじみ思った。 先に投稿したYouTubeのビデオで、国連難民高等弁務官として人道主義に徹した緒方貞子さんが仰っていた言葉は、言わば思想難民として地獄のような世界に生きていたような私の心にとても強く響いた。 「生き延びればね、もう一回チャンスが出て来るかも知れないんですよね、人間って・・・」 そう、そんなチンケな世界で死に急ぐなんて、馬鹿げているよ。 若者達も、そうでない人たちも、もっと自由な世界に飛び出した方がいい。 世界はあなた達が考えているよりも、もっともっと広いってことを、その目で確かめてほしい。 そして、できるなら、堪え難いほどの経験を乗り越えて来たその強さを、他の弱っている人たちにも分けてあげてほしい。たとえただ一人の人にだけでも。 そして、最期に「面白い人生だった」と言って人生の幕を下ろそうではありませんか。 ▲
by kiwidinok
| 2010-07-15 12:38
| 海外生活
他にもYouTubeで「テロはなぜ生まれるのか~緒方貞子・ニューヨークで語る1~5」を観ることができる。 --- すべての人に尊厳を --- 私も自分の『存在理由』を生きている内に確かめられたらいいなと、そう思いながら観た。 ▲
by kiwidinok
| 2010-07-13 14:22
| 海外生活
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by kiwidinok
| 2010-07-10 14:55
| Music
久々に友達の店に買い物に行った。
友達は居なかったが家族皆で仕事をしていた。見ない間に娘も息子もずいぶん大きくなっていてビックリ。 協力的な家族で良かったねぇ・・・ ![]() 一番買いたかったものはセモリナ粉だが、店の棚には無く、娘に聞くと、お母さんに聞いてくれて、店で使っている分を1キロ$6.00で分けてくれた。(他で見た事が無いので、高いのか安いのかわからないが、多分日本で買うよりは安いと思う) ![]() それから、モロッコのクスクス。 ![]() イスラエルのクスクスに比べて粒がかなり小さい。 本当に何年かぶりにイスラエルの halva(ハルヴァ)も買ってみた。シュガーレスと書いてあったが、「これ、甘過ぎない?」と娘に聞いたら、「さぁ?・・・でも、他のよりいいんじゃない?他のは私にも甘過ぎる」と言っていた(笑) ![]() 家に帰って食べてみたら、大丈夫な甘さだった。 お母さんが作り立てのハモス/フムスをピタパンにつけて味見させてくれた。 これが驚くほど美味しく、これまで食べた中で最高の味だったので、買って帰ってランチにさっそく食べたほど。 ![]() そして、チュニジアのデーツも買って来た。(あ〜、チュニジアにも行きたい) ![]() このまん中のフォークが変わった形をしていて気になった。 トレイの外側にあるのはデーツの種。 これは干しただけのものではなかったので、次回どこかで干しただけのものを見つけたらまた買ってみよう。味は甘過ぎず美味しかった。 今日は他にもコリアンの店で米やら薄切り肉などを買い、コリアンのお菓子(甘くしたすりゴマが中に入っている餅)も買って、八百屋にも寄って、大量に食料を買い込んで来た。 ![]() 家に帰って、ランチ+封を開けてしまったハルヴァ+デーツ1こを食べたらお腹がいっぱいになってしまい、コリアンの餅を食べられず・・・ もうすぐ3時になるのに、全くお腹が空いていない。 早く食べないと硬くなってしまうぞ・・・(; ̄ー ̄川 ▲
by kiwidinok
| 2010-07-10 11:36
| 世界の料理
![]() I've got a Tajine Pan. The shape is amazingly beautiful, isn't it? It's bit conservative I thought but I chose black colour because this colour would set off most of foods remarkably. ![]() By the way, my son said it would be a nice "Sukiyaki Pan" at first glance. Ooh... Sukiyaki... what a nice sound he reminded me! * (sukiyaki: sliced beef and vegetables cooked at the table in a shallow pan) 注文してあったタジン鍋が届いた。(←朝起きたら玄関に置いてあった) 最近、サラダしか食べてなかったので、冬でもあるし、温かい料理を食べなくちゃと、YouTube等を見ていたら、「ああ〜、そういえば友達(だった人)が、以前モロッコ、モロッコと言っていたなぁ・・・」と思い出し、モロッコと言えばアルジェリアの隣だしということで、タジン料理に挑戦してみましょと、ネットで最も安く質の良い鍋が手に入る方法を探し、注文しておいたのだ。 コトコト煮込む料理をチマチマ一人分ずつ作るのは不経済なので、2.5ℓの容量のものを購入。 適度に深さもあるので、パエジャ(paella)とかも作れそうだし、沢山作ってスタジオを貸している連中にも食べさせてあげればいいかと、そんなことを考えて眺めていたら、同居人が来て一言・・・ 「その鍋、すき焼きにちょうどよさそうだね」 ・・・あぁぁぁぁ・・・すき焼き、すき焼き〜〜〜 もう完全にモロッコ料理の画像は脳裏から消え、呼び起こされたすき焼きの懐かしい味と香りに包まれてしまった一日であった。 スキヤキ タベタイ・・・ ▲
by kiwidinok
| 2010-07-08 18:17
| 世界の料理
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