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by kiwidinok
| 2011-05-05 16:13
| 雑感
実家の母からメールが来た。
昨日、だいぶ体調が良くなった父を連れて、"桜トンネル"を見に行ってきたと書いてあった。 母はそろそろ80の声を聞くような歳になっているのだが、自分で車を運転して、買い物に行ったり、父を病院に連れて行ったりする。 デジカメで撮った写真をメールに貼付して送ってきてくれたりもするのだから、スゴイよなと感心するばかりである。 まぁ、NZの老人達も普通に運転して、自分達で買い物にも行くのだから、こちらに住んでいれば何ら変わったことではないのだが、一昔前の80歳前後の老人を頭に描くと、私の母は一般的とは言えないよなとつくづく思う私は、やはり"古い世代"の感覚を持ち合わせているということなのだろうなと思った。 「桜が満開で綺麗だったよ」 昨年、一時生死の境を彷徨った父を車に乗せて、満開の桜を見に行った母・・・ 「今年も一緒に見に行けてよかったね」私は素直にそう思った。 世間では『花見は自粛』とかの "御布令" が出ているようだけれども、静かに花を愛でるのに何をはばかることがあろう。 もうその歳になったら自粛なんてしなくていいよ。 これまで充分過ぎるほど慎ましい生活をしてきたんだから。 それに、今だって贅沢な暮らしをしているわけじゃないんだから・・・ 表面に現れなくても、人それぞれに、それぞれのストーリーがある。そんな当たり前のことを忘れてしまったかのように、『統率』を通り越し、『統一』させようとする動きに対して、私は吐き気を覚えるほどの激しい嫌悪感を抱き続けている。今に始まったことではなく、物心ついてからずっと。 ▲
by kiwidinok
| 2011-04-07 19:19
| 雑感
昨年秋、父が庭木を剪定中、脚立から落ちて片腕を骨折した。その時、義兄が家に居たらしいのだが、ドサッと音はしたものの、外を見ると別に変わった様子もなかったので、まさか父が落ちて動けなくなっているとは夢にも思わなかったそうだ。
父は骨が折れた痛みに襲われながらも、全く大きな声を上げることなく、じっと痛みに耐えながら、力を振り絞り、折れていない片腕で何とか一人で起き上がり、出かけていた母が帰って来るのを待って、救急病院に連れて行ってもらったらしい。 その話を聞いて、我家の同居人達は「男だねぇ」「男は黙って我慢するもんなんだって、そう教えられて育ってきたんだよねぇ」と、昭和初期生まれの人が持ち合わせている底知れない忍耐力にたいそう感動していた。 今回の東北地方太平洋沖地震においても、やはり戦後の焼け野原から日本を世界のトップクラスの経済大国にまで押し上げてくれた人々の、とてつもない底力を見せつけられたように感じた。 「これしきのことでは潰れない」 地獄のような戦後を生き抜いて来た世代は、年老いてなお健在である。 きっと、その精神は次の世代、更にまた次の世代へと受け継がれて行くに違いない。 そうあって欲しい。 一昨日、歩いて買い物に出ると、近所のカフェの前の歩道に出ていた立て看板に、 Thinking of Japan Lots of love と手書きで書かれているのが目に入ってきた。 涙が溢れて、何度も前が見えなくなりながら歩いた。 大切な人を失い放心状態の人々に、どうか思いやりを・・・ 「他の人と同じように地域のために働いてもらわなければ困る」などと、冷酷な言葉を浴びせて喜ぶことがないように、そんな血も涙も無い人が大きな顔をして"公平"を叫ぶことがないようにと、心底願っている。 ▲
by kiwidinok
| 2011-03-17 16:55
| 雑感
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by kiwidinok
| 2011-03-05 07:34
| 雑感
歌が途中で終わってしまっていても、完璧なビデオ エディティングでなくても、他の美しい映像ばかりを集めたビデオよりもこの映像の方が私は好きだ。 小学生の頃、夏休みに"書かされた"読書感想文が何がしかの賞を取り、ご丁寧に昼の校内放送で朗読させられるという最悪な経験をしたことがある。幼かったので抵抗することもできず、言われるままに放送室に呼ばれ、全校生徒が給食を食べている間それを読んでいたのだが、教職員の方々は、一体どれほどの生徒が他人の読書感想文に興味深く耳を傾けると思っていたのだろうか? 私は、普段のランチタイムの光景を想像しながら読んでいた。 給食で出される安っぽい食器がガチャガチャ鳴る中、友達とお喋りしたり、物を落としたり、先生が「おい、静かに聞け!」と怒鳴ったり・・・そんな種々雑多な物音の中で、小さなスピーカーから流れる私の声は大方の生徒にとって『雑音』でしかなかっただろう。 そんなことはわかり切っていたのに、何故放送することを承知したのか・・・「嫌です」と断る選択肢がなかったのだろうなと、そんなことをこの歳になっても時々思い出したりもする。 文を書くことは全く苦痛ではなかったし、どのように書けば一目置かれるかも大体わかっていた。 本をろくすっぽ読まずに立派な読書感想文を書くことも得意だった(笑) でも、ある時私は、『文章をソツなく組み立てる』ことに疑問を持ってしまったのだ。 ただ上手く書いただけの、心のこもっていない文章には価値など全く無いということがよくわかった。 誰かにとってではなく、私自身にとって、整った文章を書くことが全く価値の無いものとなった。 やたらと難しい表現を羅列して、さもインテリですと言わんばかりの文章を書く輩にはうんざりし、不器用に、素朴な言い回しで何とか自分の思っていることを表現しようとか、自分の思いを伝えようという、気持ちが伝わって来る文章を書く方がどれほど価値があるかと気付いてしまってから、全てのものに対してそういう見方をするようになった。 そう、全ての『上辺だけ』、『見せかけだけ』のものに対してげんなりしてしまったのだ。 このビデオに話を戻そう。 私はこの曲の歌詞はわからず、ただ雰囲気だけで感じるしか術がないのだが、この素朴な光景がこの曲にはとても合っているように思った。 私はこの中に入れるだろうか・・・ 受け入れてもらえるだろうか・・・ そんなことを考えながら、細々とアラビア語を勉強し続けている。 ▲
by kiwidinok
| 2010-10-28 10:25
| 雑感
同居人とその仲間達のスペースデザインスタジオは、今月始め正式に会社の登録をし、動き始めたばかりで、ようやく名刺のデザインが終わったばかりで、まだ印刷しておらず・・・という段階であるのに、4人で夜通しコンピューターを走らせなくてはならないほど忙しいらしく、毎夜階下のスタジオから聞こえて来る笑い声を子守唄にして私は眠りにつくのである。
今手掛けているのは、メンバーの1人が以前アルバイトしたことのある会社(同業者)からもらってきた、フィジーに新しく建つ高級リゾートの完成予想図なんだそうで、ここ数日はメンバーの内の2人(中国人)がお昼過ぎから早朝まで通しで働き続けていた。 納品日の昨日早朝にはあらかた出来上がっていたので、午後2時のミーティングに余裕で間に合うと思っていたらしいのだが、連日のオーバーワークで疲れ果てていたメンバー2人はことごとく睡魔に襲われ、マウスをクリックしながらウトウトしだす始末だったようだ。 我が同居人はスペースデザインは専門ではないので、本当はずっと一緒に起きている必要はなかったのだが、皆のパワーが落ち始めて処理能力が著しく低下しているのに不安を覚え、昨晩は『眠りに落ちそうになるメンバーを叩き起こす役』に徹し、あとは rendering(レンダリング:コンピュータの画像の三次元化)が終了するのを待つのみとなってからようやく家に戻って来た。朝8時過ぎであった。 メンバー2人はコンピューターが処理を始めるとすぐに眠りに落ちてしまったようで、同居人が家に戻って来た時には周りで音がしても起きない状態だったそうだ。 同居人も疲れが限界まできていて、「あとは待つだけだから」と言って部屋に入るとすぐに寝入ってしまった。 このところ朝晩冷え込んでいるので、ソファーの上とカーペットの上で寝ていたメンバーにブランケットをかけてあげながら、朝食用にサンドイッチを作ってテーブルの上にメッセージを添えて置いておいた。 ほぼ毎日スタジオで顔を合わせているので、もうほとんど自分の子供のような感覚で、「あともう少しだよ、頑張って!」と心の中でエールをおくりながら、私は予定していたガラスカットは止め、家に戻った。 11時過ぎになって、あの子達、そろそろ起きないとマズいんじゃないかなと、スタジオに行ってみると、2人とも既にしっかり起きて仕事をしていた。今どきの若い子達もちゃんとしている子はちゃんとしているのだ。 しかも、1人は大学で教授よりも技術が高かったような子である。 とても素直な子達で、朝食やブランケットを用意してくれてありがとうと、何度も々言ってくれた。 仕事は間に合いそうかと聞くと、レンダリングがはかどっておらず、あと6時間かかると表示が出ていて、今、どうにかして早く処理できないかと、もう一台のコンピューターで試しているところなんだと言うので、私は邪魔してはいけないと、すぐにまた家に戻った。 1時半過ぎにまた様子を見に行くと(行っても何も手伝えないんだけど、心配性なもので(笑))、コリアンの子が応援に来ていた。 2時のミーティングには何とか間に合いそうだと笑顔の2人+応援1人・・・私もホッとした。 全てが終わって彼らがスタジオを出たのは2時10分くらいになってしまったが、ミーティングの場所は私のスタジオから車で5分程度の近さなので、顰蹙を買わない程度の遅れだったのではないかと思う。(時間に厳しい日本で育った私が、この程度の遅れなら大丈夫と思ったのだから、大丈夫に決まっている(笑)) 疲れ切ってはいても、短期間で仕上げるのには無理があるだろうと誰もが考える仕事を、仲間と力を合わせて仕上げたんだという満足感に満たされているのを、彼らの爽やかな笑顔から見て取れた。 自分達の理想に向かって全力で走り出した若者達。 苦労した後の達成感は何にも増して清々しく、気持ちのいいもので、それを分かち合える仲間がいることは更に素晴らしいと私には思えた。 彼らがミーティングに出かけて行った後、同居人が起きて来た。 同居人が寝ていた間の話しをしてあげると、「出かける時、2人とも良い顔してた?」と聞いてきた。 「爽やかな、良い顔してたよ」と私が言うと、「よかった・・・満足できる仕上がりだったんだ・・・」と、同居人も笑顔になった。 この子も心配だったんだね(笑) ▲
by kiwidinok
| 2010-04-19 03:22
| 雑感
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by kiwidinok
| 2010-03-05 02:10
| 雑感
![]() 今日はこの夏一番の暑さ(27℃で)だったが、涼しい風が吹いていたおかげで、窓を開け放していれば家の中は非常に気持ちがよく、快適そのものであった。 先週カレッジ時代の友達2名とロトルア方面にロードトリップに行った同居人Hは、今週その仲間と共にノースの方に遊びに行った。 いつも運転手は一人・・・コソボ出身の男の子(ゲイ)・・・本当にいいヤツだ。 今月だけで3回もロードトリップに行っているが、全てその子が自分の車(以前は窓の開閉に支障があったが、今はガソリンの量を示すゲージが壊れていて動かないという年代物の車)を運転して連れて行ってくれるという、スリル満点の旅なのである。 お正月のギズボーン、民家の庭ステイに味を占めたあの子達は、先週のロトルアでも、友達のおばさんの家の庭にテントを張らせてもらい、無料で泊めてもらった上に、朝食、ランチ(何とお弁当を作って持たせてくれたそうな)をご馳走になり、シャワーも使わせてもらえるという、とても温かいもてなしに感激して帰って来た。 ![]() そして今回は、ノースの何とか言う所に先に行っている他の友達(やはりゲイ)達と現地で合流するということで、他の大学に入る為のインタビューを受けた後すぐに出かけて行ったのだが、今回はテント暮らしをより快適にしようと、カセットコンロとフライパン(家にあったもの)、毛布(これだけは新品)を新たに持って、普通車のトランクにギューギューに詰め込んで出かけたのだ。(あの車にテントが入っているというだけで私は驚いたのに・・・けっこう入るもんなんだ・・・) ![]() こちらの大学は、大学に入る為の全国統一試験なるものはないのだが、その代わり、カレッジ(中学+高校)の単位習得は、全国一斉テストで基準点を満たすことが要求される。 大学にアプライできるだけのスコアを取っていれば、願書を出すことができ、大学側が入学条件を満たしていると判断すれば、次にインタビュー(面接)の通知が来て、インタビューを行った後正式に合格/不合格が決まるという仕組みである。 ![]() そのインタビューを受けた後、我が同居人は少々凹んで帰って来た。 面接は受験者2名と面接官で行われたらしく、一緒に部屋に入ったキウィの女の子がほとんど一人で喋っていただけで、自分は聞いている時間の方が長かったと言うのだ。 元々インパクトの強い子ではなかったし、どちらかというとおとなしい子だったので(知っている人は大きくうなずいていることでしょう(笑))、いくらマシになったと言っても、オシャベリなキウィには対抗できるはずもなく、「それは仕方ないよね・・・ 面接官は日本人は元来静かだって知ってると思うよ。それに、あんまりうるさい子だと、逆にいいかげんにしろよって思うかもよ」と慰めたつもりだったが、慰めるまでもなく、 「まぁ、落ちたら落ちたで、きっと入らない方が良いってことだからね〜」 と、極めてポジティブな言葉を残し、旅行(キャンプ)に出かけて行った。 これだったら全く心配ないなと一安心。 たかが1回や2回(や3回や4回や・・・)落ちただけで自分はダメなヤツだなんて思っちゃいけないんだよ。誰にだって得手不得手はあるんだし、有名な大学を出たからって良い人とは限らないし、お金持ちになったからって幸せだとは限らない。 他人と比べて自分が勝っているだの劣っているだのと思うのは本当に馬鹿げている。100%完璧な人間なんて存在しないのに、どうして他人と比べたりするの? 自分が納得できるまで頑張ればいいじゃないか。 そう、何度も何度も脇道にそれて、遠回りをしながらやっとたどり着いた終着点では、きっとそれまでの溢れんばかりの経験を思い出すだけで、ただそれだけで幸せに思えるようになるんだと思うよ。 ▲
by kiwidinok
| 2010-01-29 17:14
| 雑感
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by kiwidinok
| 2009-11-06 19:06
| 雑感
先日同居人が私の愛車を点検していた時のことである。
助手席の下に隠れていた「ナビのモニターにつなぐ機械」が正常に作動するかどうかを見るため動かしてみていた。 もちろんNZのナビとしては使えないが、それはまだ正常に動くことがわかった。 接続して、何やら調節した後、モニターに映った地図を見て私達は目を疑った。(日本で最後にナビの接続を切った場所かな? 地図のソフトは入っていないのに、記憶されていたということか・・・?) 地図は埼玉県の一部の地域を表示していたのだが、表示されている地図の至る所に、何と私達の名字が書かれていたのだ。 そこは想像だにしなかった私達の名字がついた町であった。(今の今まで、そんな地域があることさえ知らなかった) 「○○(←私達の名字)霊園」という文字がやたらと大きく表示されているのを見て、同居人と私は「この車は私達が買うことになっていたんだね」「あの人がこの車をよこしてくれたんだよ、きっと」と笑った。 人生には不思議なことがあるものだ。 NZに来て一番最初に買った車のナンバープレートには、結婚記念日の日付が入っていて、今回もきっと何かあるだろうと考えてはいたが・・・まさか、このような形で驚かされるとは思ってもみなかった。 偶然か必然かなど、議論するつもりはない。 私はただ、ずっとずっとあの人に守られているんだということを確信できて嬉しかったのだ。 仕事に出る為に車を買った。車は Legacy(遺産)。 買った日はあの人が最後の旅行に出発した日(顔を見た最後の日)だったと、買った後で気がついた。(その時点で、あの車を買うことになっていたんだと思った) 仕事に出るようになった最初の日は、あの人の命日だった。(そんなことなど知らないボスが決めた日。月の初めでも、週の初めでもない日だった) そして、その車はあの人の名字がついた場所から来たことを知った。 一人で全く知らない所で働くことに不安が無いわけはない。運転だって好きなわけじゃない。そんな私に、「大丈夫だよ、俺がついているから心配するな」と言ってくれているかのように思えて、今、とても落ち着いた気持ちになっている。 自分の下した決断に「良し」と心の底から納得できるよう、いつも何らかのサインが与えられるという現象を、これからも楽しみながら生きて行けたらいいなと思う。 ▲
by kiwidinok
| 2009-11-05 22:25
| 雑感
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