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イラニアンの知り合いはいるものの、英語でしか会話しないので、会話中に時折電話がかかってきてあちらの言葉で何やら喋っていても、全くわからず・・・
そんな私が、先日 Children of Heaven(邦題:運動靴と赤い金魚)というイランの映画を吹き替え無し、字幕無しで見た。この映画、ずっと以前日本で観た事があるのだが、ほとんど会話の内容を覚えておらず、ただ映像の断片々を覚えていたという感じだった。 とにかく、何を喋っているのか全くわからない。多分、今イランを訪れたらこんな感じになるのだろうなと思いながら、映像に合わせて言葉を推測しながら観始めた。 あらすじは書かない。いや、書けない。私には何と言っているのか正確にはわからなかったから。 例えば、最初の場面で少年が(多分)ジャガイモを買おうと手に取ったシーン。なぜ店主は規格外の物のような方を買うように言ったのか?店主は親切心で、そちらの方が安いと勧めてくれたのか、それとも子供だから軽くあしらったのか?また、そうではなく、そもそも少年の欲しい物がそちらだったのか? そういった些細なことが気になりはしたが、そういったことを差し引いても、非常に心を打たれる映画であったことだけは確かだ。 この映画の主人公は子供だが、私はこの父親の存在の大きさをとても強く感じた。 黙っていても子供達の状況はしっかり把握していて、自分が子供に贅沢をさせてあげられない事をすまなく思っているだろうなというのが伝わってくる。 かといって、しっかりしているかといえばそうでもない。 全てを計算づくで考えないおおらかさ、素朴さ、純粋さ、そしてひたむきさというのが、この映画全体を通してあふれんばかりに表現されていた。 話されている言葉は何一つわからなかったが、わからないからこそ「感じる」ものが多かったのかも知れない。もしかしたら、私が感じた事は言葉を理解できていたら全く違っていたということも、無きにしもあらずだが、まあ、国語の授業で正しい答えを出せと言われて採点される状況でもなし、私の評価がこの映画の価値を左右するものでもなし・・・ 久しぶりに観た映画はイラン映画。 後世に残るであろう「心で観る映画」であった。 4月26日早朝、『追記』を書いていたら夜が明けてしまった。 ↓ 多くの人は、言葉が通じないということは不利だと思うに違いない。 けれども私は、マドリッドの心の友がかつて伝えてくれた思いによって、自分の能力を必要以上に卑下することなく、いつでも誠意を持って接すれば、言葉は通じなくとも心は通じる人が居るものだという、非常に大きな安心感に支えられるようになった。 -------------------------------------------------------------------------- 僕がニュージーランドに行って発見したことを話すよ。 僕はそこに行くまで、本当に全く英語が話せなかったんだ。 でもね、言葉がわからないというのは、時には無上の喜びであったり、 かえって有利なんだということを発見したんだよ。 なぜなら、「感覚(感性)」というものは言葉を通しての限界にも、 社会性とかいうものにも左右されずに、 とても純粋に、その人となりを表すということがはっきりわかったからなんだ。 僕たちの傍にはいつも、黙っていてもわかってくれる人がいる。 例え僕たちが障害者になってどん底に突き落とされた気持ちになったとしても、 何も言わなくても心をわかってくれる人がいるんだということが、 はっきりわかったんだ。 ---------------------------------------------------------------------------
by kiwidinok
| 2008-04-25 15:44
| 映画
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Comments(2)
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by
kattyan62 at 2008-04-27 02:11
日本語を正しく話せない人が増えたと嘆く大人、貴女のおっしゃるように、もしも自国語でなくて理解できない人達なら、それを話す人の心を探ろうとするんでようね。
余計なものが見えてしまって、肝心なところを見逃してしまいそう、 大阪弁しか話せない僕は幸いなのかな?
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kiwidinok at 2008-04-27 10:11
実は私も、こちらに来て文法的に正反対の言い方を強いられているので、日本語が変になってきています。その内、「本当に日本人?」と言われそうですよ(笑)。どうか、想像を働かせて読んでくださいね。
日常生活において言葉が邪魔に思える場面が多々あったので、今回この映画を映像表現だけで観たというのはとても新鮮でした。 言葉を操って商売している人の作戦にまんまとハマってしまうのは、人間の弱さなんでしょうね。広告にしても、報道にしても、他人の感覚に翻弄されていることが多すぎるような気がします。 ところで、かっちゃんはきっと何弁で喋ってもかっちゃんのままですよ(笑)大阪弁でなくても充分に個性を発揮できそうです。でも、「大阪弁のかっちゃん」の方が余計なものが見えなくて一番温かく感じるかな、やっぱり(笑)
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