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少し前、お寺の瞑想の間に飾るパネルを頼まれて作ったのだが、オーダーして来た信者に作品を届けて以降、僧侶からは受け取ったとの報告もなく、まあ国が違うし、信仰も違うのだからそんなものかと思っていたのだが、今日シャロンから聞いた話しによれば、私の作品は信者の家から搬出する時点で少し(と信者は言っていたようだが、どの程度を『少し』と言うのかはわからない)下の部分が割れていたとのことで、それをそのまま受け取った僧侶は信者に「あなたが故意に割ったんでしょ」と怒りの電話をしてきていたようだ。
シャロンはその当事者の信者からその話を聞いて私に伝えてくれたのだが、私はどの程度の割れかわからないものの、受け取った僧侶が(一般人ではなく、『僧侶』だ)確信を持って『故意に割った』に違いないと思えるような割れ方をしていたのだとしたら、それは単に hairline と言われるピキッとひびが入ったような状態ではなく、何か硬いものをぶつけてできる一部粉々になった状態が確認されるような割れ方をしていたということなのかと、悲しくなった。 当然のことながら、信者は「私は割っていない」と答えたらしいが、誰がそれを信じるだろうか? 故意に割ったのでなければ、搬出する前に私に修復を頼んで来るだろうし、何故割れたのかを聞いても来るだろう。 修復を頼めなかった理由は、自分に落ち度がある場合しかないように思える。 確かに私は「いかなる割れも欠けも確認されず、全くダメージがない状態であることを確認した上で受け取りました」と書いた納品書を用意し、第三者が立ち会った場で作品を丁寧に見てもらい、日付とサインを記入してもらい、おまけに彼女に作品の横に立ってもらって写真撮影もしたが、もし本当に自分に責められるところがなければ、人はどうして割れたのかくらいは聞いて来るものだし、更には無料で修理するのが当然と思うものではないだろうか。 修行を積んだ僧侶でさえ、見た瞬間にそう思えたのだから、彼女がそのような行動を取る可能性があることは、彼女を知っている人なら容易に想像できるということだ。 私に作品を依頼して来た信者は、作品の代金を途中半分だけ払って、作品が出来上がったと伝えても残金のことには一切触れず、しばらく忘れた振りをしていた。 4年以上も私を「ベストフレンド」と他の人に紹介しておきながら、請求書を持って行くまで残金の話には触れないでいるという姿勢にガッカリし、仕方なく請求書を切って持って行くと、「やっぱり来たか」という表情で無言で渋々チェックを切って渡してくれた。しかし、封筒に入れて行った請求書を開けて確認する作業をしなかった。 「すっかり忘れていたよ」と言うわけでもなく、「残金は幾らだった?」と聞くわけでもなく、金額もしっかり覚えていたのだから、私が請求書を持って行かなかったら踏み倒そうと思っていたのか、はたまた私が「要らないよ」というのを期待していたのか・・・(代金は初めから相場の半額だったんだけどね。おまけに、フレーム代は私の儲けを削って、こっちで払ったんだけどね) 私は非常に気分が悪かった。 チェックを受け取った後で、詳細に書いていった請求書を開いて、一応書かれている事をその場で間違いがないかどうか確認して欲しいからと、目を通させた。 こんな事をしなくちゃならないなんて、最低だなと思った。 彼女は自分を裕福で、素晴らしく心の綺麗な人に見せたいという気持ちが強過ぎて、派手な『寄付』をして一躍有名になろうという気持ちしかなく、お寺の為とか、何か他の善良な気持ちがあるわけではないと、彼女をよく知る人は承知しているし、私だって、言われなくても見ていればそれくらいはわかっていたが、そんな人でも他人に危害を加えなければ、別に深く関わらなければいいだけだからと思っていた。しかし、実際は被害に遭った人が多く居るようで、シャロンもその一人であるというのが、この1年でよくわかった。 彼女は自ら寄付を吹聴して回ることで、皆が一目置いてくれたと勘違いし満足であったのだろうが、それは僧侶の耳に入ることとなり、僧侶が寄付というもののあり方について得々と説教をするために、はるばる5時間かけて車でやって来たという話も聞いた。(激しいね) 実際、『寄付』というのは自分の名声の為にするものでもなく、寄付をしたから何が偉いという類いのものではないのだから、「寄付を施した時点で、その人のその件に関しての役割は終わるのだ」と言われれば、その通りとしか言いようがないが、それを寄付される側から説教されるというのは、仏教徒でない私には違和感があった。 そんなことがあってから、信者と僧侶との関係がギクシャクし始めたというのは私も聞いていたが、作品の引き渡しの段階になると、作品の依頼者である信者でも、引き取る側の僧侶でもない第三者(別の信者)が連絡をしてきて取りに来ると言うので、私は「申し訳ないが、僧侶からもクライアントからもあなたが取りに来ることをまだ聞いていないので、確認を取らないとならない」「割れ物なので、輸送中の破損に関して保険をかけてあるかどうかも確認しないとならないし」と返事をしたところ、頭に血が上った女性信者は、私を無礼なヤツだとなじり、怒り狂って「あなたのような分際のものが直接僧侶とコンタクトを取るなど、常識がないにも程がある!」から始まって、ありとあらゆる蔑みの言葉を発した挙げ句に、「私のことで今後何か悪い噂を聞いたら、アンタをここに居られなくしてやるから、よく覚えておきなさい!」と吐き捨てて、一方的に電話を切った。 凄まじかった。 別に私が好んで僧侶に連絡していたわけではない。僧侶からのリクエストがあってそうしていただけだ。世の中には色々な人が居るものだというのを改めて思い知った。 久しぶりにヒステリーというものを見たが、見苦しいものである。 その人が特別信じられない人だというわけではない。多分、彼女は僧侶に頼まれたのだろうとは私も思っていた。ただ、なぜそれを僧侶やクライアントが私に事前に知らせなかったのかが理解できなかった。 私は第三者である彼女に、ただビジネスの基本を説明しただけだ。 誰かが買い物をして、「後で取りにくるから置いておいて」と言って立ち去った後で、知らない人が「あの人の荷物を取りに来た」と言ってやって来たら、そんなことは聞いてないよと思いながらも渡してしまうのか? もしその後でお金を払った人が荷物を取りにやって来たら、「知らない人があなたの荷物を取りに来たから渡しておいたよ」と言って責任を回避できるとでも思っているのか? 仏教徒同士の醜い争いに巻き込まれてほとほと疲れ果て、取りあえずクライアントである信者に連絡を取り、彼女に引き渡しを手配してもらうのが最良の道だろうと私は考えたのだが、信者は僧侶が配送人を手配してくれないと、自分では持って行けないし、プロの輸送会社を頼めば自分がお金を払わなければならないので、ギクシャクした関係の僧侶に電話するしか方法がない。いつまで経ってもどうしたらいいのかはっきりせず、仕方なく(大変に無礼でしょうけれども)僧侶にemailを送るも、「今は忙しいので取りに行けない。時間が出来たら連絡します」と言うばかり・・・私はこれ以上この集団に関わりたくないと思い、僧侶には「それでは、クライアントの所に届けますから、今後は彼女と連絡を取っていただきますようお願いいたします」と伝え、届けた後で、クライアントと作品が一緒に写った写真を貼付し、「私の仕事は終わりました。長距離の輸送で破損することがありませんよう、また、喜んでいただけますよう願っております」と書き添えたが、それ以降何の連絡もない。 クライアントである信者は、私が届けた後、せっかく自分がお金を払ったものが、「当然」のこととしてしか受け取られていないことに苛立ったのか、私が更に値引きして半額にしてくれると期待していたのが裏切られたからしゃくに障ったのか、彼女の怒りはパネルに向けられて、こんな結果になってしまったということなのだろうか・・・ 何ヶ月もかけて、心優しい人々に協力してもらって、一生懸命に作った作品は、もしかしたら、故意に割られた挙げ句に僧侶の気分も害し、無惨な姿となって、飾られたのかどうかもわからなくなってしまった。 少し前、僧侶と信者と私のグチャグチャな状態を知る由もないフレームを作ってくれたポールが(私も割れた状態で渡されたとは今日まで知らなかった)、「あの作品は喜んでもらえた?」「今度見に行きたいね」「写真を撮って送ってもらって、ウェブサイトに載せたらいいよ」と、ディナーに行った際に熱心に聞いてきたので、私は気分の悪い話をするのも嫌だなと思って、「あの時は本当にありがとう」「喜んでもらえているといいんだけど」とだけ返事をしたが、彼には本当に申し訳ない事をしたと、今でもそう思っている。 あんなに大きなフレームを、忙しいのにとても丁寧に綺麗に作ってくれて、私が払った分だけでは儲けなんて出なかっただろうに、「飾ったらすごく綺麗だろうね」と自分の事のように楽しみにしてくれて、取り付ける為の金具までわざわざ探しに行って買って来てくれて・・・ 他にも、油絵を描いている生徒さんが、構図やら色使いで悩んでいる時に力になってくれたり、同居人が勉強の合間に文句も言わず、ガラスを買いに行くのを何度も手伝ってくれたり、作品をひっくり返すのを手伝ってくれたり・・・ シャロンや彼女の旦那さんがポールに頼んでくれなかったら、私はあの作品を手渡すことができなかったこととかを考えていると、こんなことになってしまって、手伝ってくれたり楽しみにしてくれていた人たちに本当に申し訳なくて仕方がない。 コリアンの生徒さんは、ずっと私の仕事に対する姿勢を見てきたし、このようなことに巻き込まれたのをシャロンを通じて事細かく知っている。 彼女は、「同じ国の人間が、日本人であるあなたにそんな事をしたなんて、本当に恥ずかしい。しかも同じ宗教の仲間がそんなとんでもないことをしたなんて、何とお詫びを言ったらいいか・・・」と、私に謝って来た。シャロンも「全く恥ずかしい」と怒りを露にしていた。 「いや、たまたまコリアンで同じ宗教だっただけで、どこの国にもそういう人はいるから、あなたが謝る必要は全く無いよ。日本でもっと嫌な事を経験してるから、私、そんな事じゃ凹まないしね」と笑って言ったら安心したようだった。 日本も韓国も、『集団責任』を重んじて教育されるから、誰かがとんでもない行動を取ると「同国人が・・・」と恥ずかしい気持ちになってしまうんだよねと、笑いながら話をした私たちは、以前にも増して仲が良くなった。 人生、悪い事ばかりでもなく、良い事ばかりでもないから面白いんだろうね。
by kiwidinok
| 2009-09-16 15:01
| ビジネス
|
Comments(4)
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at 2009-09-17 12:53
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ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
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by
kiwidinok at 2009-09-17 15:27
鍵コメ様
私、このオファーを受けた時から強欲な両者にウンザリしていましたから、この両者の醜さが顕著に現れた結果は、成るべくしてなったと、正直なところ笑えてきました。 あんなに大きな『壊れ物』は、瞑想の間に飾ったら『瞑想』どころか『迷走』しそうだし、どこかに隠しておくのも邪魔だし、どうしたんだろうなと、他人事ながらかわいそうになります。 割れたまま飾っても、それはそれで何らかの戒めにはなるんですけど、来る人々に何故割れているかを聞かれるのは辛いでしょうねぇ... 嘘をつくわけにもいかないし、立場が立場ですから(笑) まぁ、代金は払ってもらいましたから、その人が自分の物をどう扱おうと勝手ですし、別に文句はありません。 本当に、「自分の蒔いたものを刈り取る」んですよね。私も蒔いたものを刈り取っているんだと思います。これもその内の一つでしょう。
0
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at 2009-09-17 17:18
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ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
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kiwidinok at 2009-09-17 21:11
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